ずしりと重い写真集を膝に置き、1枚1枚めくっていく。
見たことのある沖縄、見たことのない沖縄。

あぁ、沖縄だ。

なんともいえない、あたたかいものが胸にこみ上げてくる。

つるつるした紙、ざらざらした紙、途中で、一冊の中に数種類の紙が使われていることに気づき、その感触を味わいたくて、写真をなでてみた。そこから温度や匂いや音が立ち上ってくるようだった。

南方写真師、垂見健吾さん。
まだおじぃという年齢ではない頃からずっと、「タルケンおじぃ」の名で親しまれている。

「めくってもめくってもオキナワ」は、タルケンさんが沖縄を撮り始めて50年目の節目に完成した作品。およそ500点もの写真が収録されている。

氏いわく「昨日食べたごはんのことは忘れちゃうけど、撮影したときのことは不思議と覚えている」とのこと。先日出かけたスライドショーでは、映し出される1枚1枚の写真に対して、撮影した年代、場所、人物の名前、天候やシチュエーションの記憶を、まるで昨日のことのように語っていた。

きっと、目の前の景色に瞬きするようにシャッターを切り、その景色を体の中に落とし込んできたんだろうな。細胞に記憶された景色。

だから、めくっていると、タルケンさんの中に無限に広がる沖縄を、追体験している気持ちになる。

同時に、たるけんさんの目だけでなく、誰かの目が見つめた沖縄でもある、と感じる。心地よい客観性が常に横たわる。

タルケンさんは、自分は写真家ではなく、写真師だと言い続けてきた。そんな市井の視点があってこそ捉えられた写真の数々なのだと感じる。

トークイベントの際、ちょうど「亡くなった父と母の写真が載っています」というご姉妹がいらしていた。「こうして写真を見ていると、また私たちのところに来てくれた気がする、蘇ったようです」と話すのを聞いて、「蘇る」っていい言葉だなと思った。

この写真集には、たくさんの旅立った人が載っている。大城美佐子先生が「島思い」で三線を弾く、はにかんだ笑顔の写真もある。

今はもうなくなってしまった沖縄の景色があり、過ぎ去った時間がある。

それらが、ぶわっと蘇る。そして、蘇るたびに感じる思いがある。そうやって、見る人の写真の記憶は、未来に続いていくんだと思う。

「めくってもめくってもオキナワ」というタイトルは、タルケンさんが考えたそうだ。
最後まで見終わった後、これ以外、表す言葉はないんじゃないかというくらい的を射ていると思った。タルケンさんの写真人生を物語っているようにも思えて、本当にいいタイトルだなと、しみじみ感じた。

「あぁ、沖縄だ」

沖縄の写真をめくりながら、そんな当たり前の間抜けなことを、繰り返し口にしていくうち、涙がこぼれた。

「私はきっと、こういうことを大切にして生きていきたいんだ」という、言葉で言い尽くせない何かが、めくるたびに押し寄せてきた。

それは、もしかして、私が沖縄で暮らすことを選んだ理由につながるところがあるのかも。

おばぁになるまで、この写真集をめくってめくって暮らしていこうと思う。

 

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「おきなわひゃっぽ。」2歩目
一緒に歩いたひと/南方写真師・垂見健吾さん
歩いた場所/めくってもめくってもオキナワ