「どうして沖縄に住もうと思ったんですか?」
東京から沖縄に移住して約5年半、幾度となくかけられてきた言葉だ。
沖縄だけでなく、どの地に行っても、私が東京都出身、沖縄在住ということがわかると、たびたびそう聞かれてきた。
初めて会う人が挨拶代わりのように問いかけてくることもあれば、何度も会っていた人が「そういえば」と思い出したように尋ねてくることもある。
移住してすぐの頃は、ちゃんと答えなくては! と気合いを入れて、事細かに伝えていたが、途中で興味をなくしてうわの空になる人もいたりして、私の話がおもしろくないのか、「なんとなく聞いてみただけ」という人が多いのか、誰にも彼にもすべてを話す必要はないのかなと思い、いつからか「沖縄が大好きだから」と一言で済ませる場面が多くなった。
それは「えっ、あぁ、まぁ、そりゃそうだよね」という、ある人には困惑すら与えてしまいそうなおもしろみのない答えだが、沖縄が大好きで移住したという事実を、私はとても大切にしたいと思っている。
「この子は、沖縄が大好きで移住してきたからさぁ」
あるとき、そう人に紹介してくれたのは、大城美佐子先生だった。同じことを言っても、私なら「えっ、あぁ、まぁ、そりゃそうだよね」となるかもしれないが、美佐子先生の言葉は、そうか、大好きだから移住した、それでいいのかと、妙に説得力のあるものだった。
「それから、この子は沖縄の民謡が好きでね……」と続ける美佐子先生の表情はどこか誇らしげで、だから私はそんなときいつも「美佐子先生が大好きで移住したんです」と、鼻息を荒くして一番大事な事実を伝えるのだった。
美佐子先生は、「ふふふ」と首をすくめて笑った後、「あんた、まだお酒入ってる?」と話題をそらそうとするのだが、私がさらに鼻息を荒くして美佐子先生が大好きだという話を続けると、照れくさそうに微笑んで聞いてくれていた。
沖縄民謡史にその名を深く刻む唄者、大城美佐子。私は、この大城美佐子先生が大好きで、沖縄へ移住した。
初めて言葉を交わしたのが2011年10月。トンコリ奏者OKIさんと美佐子先生が共演するアルバム「北と南」のレコーディング現場へ同行したときのことだった。そのたった数日、一緒に過ごした時間の中で美佐子先生の人柄にすっかり魅了された私は、周りの人たちに背中を押され、先生の評伝を執筆すべく、取材を重ねることになった。
東京から沖縄へ通い、先生の自宅に泊まらせていただきながら、「大城美佐子の店 島思い」で唄三線を聞き、朝方までおしゃべりして飲み明かしたり、いざ全国各地にライブへ出かけるとなれば、たくさんの大城美佐子ファンに交じって旅の時間を共にした。
自分の中で、日に日に大きくなっていく美佐子先生の存在と沖縄への恋しさを抱えながら、東京で過ごしていた頃は、ある意味離れているからこそ湧き上がる想いがあって、これが理想的な距離なのだと思えるところがあった。
沖縄に住もうと思ったことはなかった。「沖縄に住まないとわからないことがあるよ」と、沖縄に住む人たちに散々言われながらも、東京生まれの私がこのまま東京に住み、外から見て書くことの意味もあるんじゃないかと、この距離を守ろうとしていたところがあった。
でも、今の生活には、どうにも美佐子先生が足りない!(笑)
そんなふうに思い始めたころ、沖縄から東京の家に戻り、寂しくなって電話すると、「うちもよ、みんな帰っていくから寂しくてよ」と、美佐子先生が、か細い声で言うではないか。沖縄で、内地から訪ねてくる人を迎え、帰っていく人を見送る。毎日のようにそうやって暮らしている美佐子先生が、ふと漏らしたその寂しさには、どこかで舞い上がっていた自分の勝手な思い込みのようなものを目の前に突きつけられた思いだった。
その後、お弟子さんから、「もう沖縄に住んだら?」と言われ、胸の内を見透かされたようではっとして、さらに「沖縄に住まないとわからないことがあるよ」を後押しするようなエピソードを聞いて、そこで初めて沖縄に住むということを思い描いたのだった。
その後、「沖縄に住むって誰が? えっ、わたし?」と思うほど、他人事を眺めているかのように、あれよあれよとめまぐるしくコトが進み、移住したのが2016年11月。
それから、4年と少し。2021年1月17日、あの旅立ちの日まで、私は沖縄で大城美佐子先生とたくさんの時間を共にした。
美佐子先生が旅立ってからは「これからも沖縄に住み続けるの?」と聞かれることも多かった。
確かに、先生のいない沖縄は、沖縄が沖縄じゃなくなってしまったようで、胸がしめつけられるような思いで過ごす日々が続いた。
でもあるとき、美佐子先生は確かにここにいると感じてから、沖縄の海も空も木も花も、今まで以上に愛おしくなって、沖縄そのものが美佐子先生なんだと思うようになった。
あぁ、沖縄が大好きだなぁ! とますます感じるようになった。
今でも、「どうして沖縄に住もうと思ったんですか?」と聞かれたら、美佐子先生の顔を真っ先に思い浮かべて「沖縄が大好きだから」と答える。
もっと聞きたいなと思って尋ねてくれた人には、嬉々として美佐子先生の話もする。私にとって今、誰かと美佐子先生の話をすることが心からの幸せで、だからそんな場面が続いてくれたらいいなと願っている。
大城美佐子という人には謎が多い。謎は謎のままでいいこともあるし、すべてを追い続けるには、私の魂が何度生まれ変わっても足りない気がする。だけどもう少し、これからあともう少し、先生が話してくれたことをもとに人々の話を辿り、パズルをつないでいくような取材の旅を続けたいと思っている。そして、近い未来に、必ず一冊の本という形にしようと思う。
このような美佐子先生との話を私的な視点で書いた拙文、まずは、2022年1月リリースの追悼ベストアルバム「ウムイ」のブックレットに掲載して頂いたことに感謝。
この1年半、先生が遺した作品の数々を聞き、音楽で魂は生き続けるんだということを痛感している。
この先ずっと美佐子先生の唄三線が聞き継がれますように。そう願い、私はこれからも沖縄を歩いていく。
_____________________________________
「おきなわひゃっぽ。」1歩目
一緒に歩いたひと/大城美佐子先生
歩いた場所/潟原干潟